大判例

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福岡高等裁判所 昭和27年(う)1731号 判決

控訴人 被告人 馬場孝

弁護人 高木巌

検察官 長田栄弘関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役十年に処する。

原審未決勾留日数中二百四十日を右本刑に算入する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人高木巌の控訴趣意は同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを全部ここに引用する。

右に対する判断。

第二点(証拠によらない事実認定)

原判決摘示の事実は、すべて原判決の挙示引用にかかる証拠によつてこれを認定するのに十分であつて、原判決が証拠によらないで事実を認定した違法があるものとは認められない。論旨は理由がない。

第三点(事実誤認)について。

前段説示のとおり、原判決摘示の事実は、その挙示の各証拠によつてこれを認定し得るところであり、証拠の証明力に関する原審裁判官の判断に経験法則の違背等特に不合理とすべき事由なく、論旨は原判決引用の証拠の趣旨に添わない事実の存在を前提し、若しくは原判決認定の事実の趣旨を誤解するものであつて採用の限りでない。

第四点(心神喪失)について。

原判決挙示の証拠、殊に検察官の面前における被告人の第一回供述調書によれば、被告人は酒気を帯びてはいたものの自転車に乗つて原判示小坪清彦方に赴き、同人に対し、返金のできないことを謝罪し、同家から日本刀を持出して原判示久富実方を訪れ、「今晩は」と大声で呼び起し、同人に対し、「おやぢ、起きんか」と申向け、家人が戸を開けたので屋内に這入つた事実すなわち、犯行当時における被告人の言動は、前後一定の脈絡を保つものであつて、事理弁別の能力を全く喪失した状態におけるものとは認められないこと明白であり、原判決が心神喪失の主張を容れなかつたことは相当である。

第五点(検事の押印を欠く供述調書の証拠能力)について。

検事の面前における所論の各供述調書に検事の押印を欠くことは論旨指摘のとおりである。しかし、検察官検事が、刑訴第一九八条又は第二二三条により、被疑者又は被疑者以外の者を取り調べ、その供述を調書に録取する場合その調書は、必ずしも検事みずから作成するの要なく、検察庁法第二七条第三項により、上官の命を受けて検察庁の事務を掌り、又検察官を補佐する職務権限を有する検察事務官をして作成させることもできるのであり、この場合においては、その検察事務官が、刑訴規則第五八条所定の方式に従い、調書を作成すべれもので、取調をした検察官検事は、その氏名が調書に表示されているのみで足り、必ずしも検察事務官と共に署名押印するの要はないものと解すべきである。所論の各供述調書は、検察官検事大坂盛夫が、被疑者及び被疑者以外の者を取り調べ、その供述を、検察事務官浦川浪来に命じて調書に録取させ、同検察事務官において、刑訴規則第五八条所定の方式に従い作成したものであること、並びに検察官検事大坂盛夫は、同検察事務官と共に署名(起訴状の署名と筆跡が一致するので、同一検事の署名と認められる。)したが、たまたま押印を欠いたのに過ぎないことがいずれも右各調書の記載に徴して明白である。従つて右各調書は、その作成の方式上何ら欠くところはないものというべきであるのみならず、同調書は、すべて被告人においてこれを証拠とすることに同意しているのであり、その供述のなされたときの情況を考慮し何ら不相当と認めらるべき事由はないのであるから、調書に検事の押印が欠けているという一事を捉えて、これを証拠としたことに法令の違反があるとする論旨は全く理由がない。

第六点(恩赦の恩典から故意、不当に除外)について。

原審における訴訟手続の進行が適法であることは、記録上明白であり特に不当若しくは違法の事由があるものとは認められない。

第七点(量刑不当)について。

記録並びに原審において取調べた証拠に現われている諸般の犯情に照らし、被告人に対して懲役十五年の刑を科した原判決は刑の量定が過当であつて相当でないというのほかなく、この点に関する論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて、刑訴第三九七条第三八一条により原判決を破棄し、刑訴第四〇〇条但書に従い、本件について更に判決する。

被告人に対する犯罪事実は原判決摘示のとおりであつて、法令の適用は次に示すとおりである。

刑法第一九九条(無期懲役刑選択)、第三九条第二項、第六八条第二号

刑法第二一条

刑訴法第一八一条第一項

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 筒井義彦 裁判官 柳原幸雄 裁判官 岡林次郎)

弁護人高木厳の控訴趣意

第一点原判決の認めた事実

原判決は要するに被告人が本件被害者久富友吉長男久富実に対して含む処があり一方に於て小坪清彦から昨年八月三十一日返済期の六千円の借入金の返済に困り焼酎を飲み小坪清彦所有の日本刀を持出しこれを携えて同年九月一日午前一時頃前記久富方を訪れあわよくば同人から金員をゆすらんと考えて同家に入り久富友吉と二三問答の末殺意を以て日本刀で同人の腹部を突刺し内出血の為即死させた、尚被告人は当時心身粍弱の状態にあつた、という事実を認め検事の有期懲役十五年の科刑意見に対し之より重く無期懲役刑を選択し、弁護人の心神喪失の主張を斥け心神粍弱を認め、無期懲役を減軽し懲役十五年に処し結果に於て検察官の意見も採用され弁護人の主張も半ば採用された形の判決になつている。

然るに原判決は検事の起訴状による僅かに八行の公訴事実に対し詳細な理由を以て判決をしたがその多くは証拠によらないで事実を認定し、或は被害者側のみの一方的の供述又は証言によつて事実を丕曲して認めている。

第二点原判決は証拠によらないで事実を認めた違法がある。

原判決理由中1、「久富実に対し含むところとなつていたものであり」とあるが被告人が久富実に対し含むところがあつたという証拠は見当らない。或は久富実の意見、想像、推量等を証拠と見たとすれば違法である。2、「返済期限同月三十一日の約で六千円を借用したが返済の見込がつかず懊悩やる方なく酒によつて気分を晴そうと考え云々」とあるが之は全く一種の作文であつて被告人が六千円の返済に困り酒によつて気分を晴そうと考えたことを認むべき証拠は見当らないのみならず小坪清彦の検察官に対する供述によれば「酔つているので同じことを繰返してすまんすまんというばかりで金の出来なかつたことはわかつているのでそれは仕方がないがわざわざことわりに来てくれただけでもよいといつて私はねむいので同人が泊つて行くものと思い云々」(証書検第七号七〇丁-七五丁)とあつて小坪は被告人が返済期限の日にわざわざことわりに来てくれたことを満足に思つておることがわかるのであつて被告人は金策の出来なかつたことを小坪から承認されて居り小坪清彦とは親友の間柄で六千円の金で懊悩やる方なく酒によつて気分を晴らさねばならぬ間柄ではないのである。3、「翌九月一日午前一時頃久富方を訪れ、あわよくば同人より金員をゆすらんと考えて同家を叩き起し云々」とあるが、金員をゆするということは証拠上見当らない、この点については別に項を新たにして述べたい。4、「同人と一二言問答を交す内殺意を以て云々」とあるが之も殺意を以て突剌したとの証拠は見当らない。或は兇器が日本刀であつたとか腹部を突いておるとかいう客観的事実によつて認定されたのであるかどうかわからないが少くとも被告人側から見れば久富友吉を殺すべき動機原因理由は全くなく本件は原因なき殺傷事件であつて起訴状も僅か八行で何等の理由が示されておらず弁護人は本件はあくまでも理由なき殺傷事件として被告人の心神喪失を主張し精神鑑定を求めておるのであつて裁判所は弁護人の精神鑑定を却下して判決されたが本件殺人につき何とか理由をつけたいと苦しみ起訴状の八行に対し詳細に理由を列挙されたがこれは懲役十五年の判決主文の裏付を合目的化されたにすぎない。

第三点本件は強盗殺人と事実を誤認された違法がある。

原判決には前述の通り「あわよくば同人より金員をゆすらんと考えて云々」と判示し金員を強奪しようとしたとは書いてないが金員をゆすらんとしたとは金員を恐喝しようとした意味であるか、又あわよくばというのはどういう意味であるか判決理由の判旨がはつきりしないが要するに金を得たい目的で酒を飲み日本刀を携え久富方に行き、二三問答の末殺意を以て殺害したという認定であつて強盗殺人の条文は適用してないけれども本件の動機目的を金員を得たい為の殺人と見て無期懲役刑を選択し之に心神粍弱の減軽をして有期懲役刑の最高十五年を以て処断されたのであつてこの点は前述の通り証拠によらない認定であり事実誤認というべく原判決はこの点において破棄を免れない。

原判決が証拠として採用した久富実の証言には被告人が「金を出せ」といつた旨証言したが検事から念を押されて之を取消し更に弁護人から念を押され取消して居り(二二三丁以下)尚久富実の検察官に対する供述調書中(五六丁-六三丁)被告人は金を無心に来て父にはねつけられ父を殺したと思う旨の意見はあるが検察官の「馬場が金を呉れとも出せともいつたことはないか」との問に対し「誰もその事は聞いた者はありません」と答えて居り検事に対する久富正義の供術調書中(五〇丁-五五丁)に「馬場が屋内に這入つてから金の無心などいつたことは知らんか」との問に対し「馬場が来てから何といつたかは私の家族は聞いていません」と答えて居り尚検事に対する久富ミツヨの供述調書中(六四丁-六九丁)「馬場は何の為に友吉を殺したと思うか」との問に対し「私方から田一枚離れた近所の小坪清彦の話によればその晩までに六千円の返済をうけることになつていたそうですからその金に困つて私方に無心に来たのではないかと思います、私はその賊が主人に金の無心をして拒絶されたので手がかりに主人を殺したのではないかと思うが果して金の無心をしたかどうかは主人が倒れたのでわかりません」という意見が述べてあり、むしろ被告人が金の要求や無心をしなかつた事実が認められるのであるが公判になつてから久富実は証人として「被告人が金を出せといつた」旨虚偽の証言をして、検事と弁護人から念を押してきかれその点を取消したのであつたが弁論再開後の証人久富正義久富シゲル久富ミツヨ等は皆被告人が金の無心に来た旨の証言をしておる。但之は証拠には採用されていない。従つて原審が本件殺人の原因を金銭を得ることを目的とした旨認定したのは証拠によらないで事実を認定したという違法があり量刑不当の原因にもなつているからこの点は破棄していただきたい。

第四点本件は飲酒の上心神喪失の状態に於ける犯罪である。

被告人が昨年八月三十一日炎天下に短時間に酒精分二十五度の強烈な焼酎五合をガブ飲みし往復約三千米の田舎道を走り廻り而もこれは当日午前八時頃朝食した後は中食も夕食もとらぬ空腹時の飲酒で被告人が是非の弁別力を失う程に酩酊していたことは捜査過程では明らかにされないまま公判廷にいたつて始めて判明したのである。検事作成の小坪清彦の供述調書(七〇丁-七五丁)司法警察員作成の水城和男、中山ツタエ、馬場清の各供述調書、第二回公判に於ける馬場清、中原礼三、緒方二三男、水城和男の各証言(一五六丁-一七九丁)第三回公判における中山ツタエの証言(一九一丁-一九九丁)によれば被告人が犯行当時心神喪失の程度に或は喪失に近い極めて強度の心神粍弱の状態にあつたことが考えられるにかかわらず原審が精神鑑定を却下し単に心神粍弱と認定したのは科学を無視し安易な常識判断に終つたのは審理不尽の違法というべくこの点において破棄を免れない。

第五点原判決採用の証拠には法令違反のものがある。原判決は証拠として検察官作成の久富正義、久富美、久富ミツヨ、小坪清彦、被告人に対する各第一回供述調書を採用したのであるが、これらの各調書にはいづれも検察官の押印がない(五五丁、六三丁、六九丁、七五丁、一三七丁)。これは刑事訴訟規則第五十八条に違反しこれを証拠として判決に採用したのは違法であり破棄を免れない。

第六点原審訴訟手続において被告人は故意不当に恩赦の恩典から除外されたと思つておる。被告人は昨年九月十二日起訴され勾留のまま同年十一月五日第一回公判、十二月十七日第二回公判、昭和二十七年一月二十八日第三回公判、同年二月十八日第四回公判、三月十日第五回公判、三月二十四日第六回公判を以て結審し四月七日を判決宣告期日と指定されたので当然四月二十八日の恩赦の恩典には浴する様に進行していたのであるが検察官は突如として当日弁論再開を請求し久富ミツヨ、正義、シゲルの証人尋問を求め皮肉にも四月二十八日第八回公判を開き五月十五日判決があつたのである。被告人が検察官から故意に恩赦から除外されたように考えるのも無理からぬことと思われる。勾留中の事件であるから審理を促進する為弁護人は法廷以外に書面で証人請求しておる(一四四丁、中山ツタエ、二〇四丁、小坪キクエ)若し検察官が三月二十四日から四月七日迄の間に書面で弁論再開と証人訊問請求の手続をしたら四月二十八日迄の間に判決の宣告を受け被告人は恩典に浴することが出来たであろう、恩赦のことは事前に報道されており検察当局では一般人よりも早くおわかりになつていたことも事実であろう。

第七点原判決は量刑不当である。本件に無期懲役刑を選択したことが既に不当であり之に心神粍弱の減軽をして尚且十五年の重刑であり加うるに判決の瀬戸際に突然弁論再開され恩赦令施行の日に証人調をして判決が延され恩赦からも除外されたので是非高等裁判所で原判決を破棄し被告人をして納得して服罪出来る様な御判決を賜り度い。

第八点被告人の犯時の心神状態につき精神鑑定をしていただきたい。原審は心神粍弱と認めたが粍弱にも喪失に近いものと然らざるものと程度の差があるから、勾留中の被告人について一件記録によつて公判迄の間に被告人の精神鑑定を請求します。是非御採用下さい。感情にとらわれず雑音に煩わされないで冷静な科学的な基礎に立つて明朗な御裁判をいただきたいのであります。

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